協会沿革
協会沿革
一般財団法人日中経済協会は、1972年11月22日に設立されました。
戦後長い間日本と中国との間には国交も無く、1950年代になって、いわゆる友好商社を通じる貿易が実施されました。1962年11月9日に廖承志(華僑事務委員会主任、のち中日友好協会会長)・高碕達之助(元通商産業大臣)両氏間で調印された「日中覚書貿易協定」に基づき、双方に覚書貿易事務所(日本側代表は岡崎嘉平太氏)が設立され、「覚書貿易」が開始されて戦後日中貿易は新たな発展期を迎えました。
日中両国はそれぞれ相手国に代表部として連絡事務所を設け、両国間で長期・総合・計画的に貿易を実施・拡大することを目指しましたが、更に外交関係の無い当時では、覚書貿易事務所が準政府機関として実質的には政府間交流をも行っておりました。加えて、覚書貿易の傘の下に、両国間で新聞記者の交換も行われ接触の度合いが深まりました。その結果、幾多の紆余曲折を経ながらも1972年9月29日の日中国交回復につながりました。
国交の正常化に伴い、覚書貿易事務所は準外交チャンネルとしての役割を終了し、その幕を閉じることとなりましたが、日中間の経済交流の促進は日本の将来にわたる発展にどうしても欠かせないものであります。このため覚書貿易事務所の交流促進の機能を引き継ぐ機関を設けようという要望が各界から湧き上がりました。これを受けて、経済団体連合会をはじめ、産業界・経済界が中心となって、日本政府の支援も得て、公益法人として日中経済協会が発足しました。
戦後長い間日本と中国との間には国交も無く、1950年代になって、いわゆる友好商社を通じる貿易が実施されました。1962年11月9日に廖承志(華僑事務委員会主任、のち中日友好協会会長)・高碕達之助(元通商産業大臣)両氏間で調印された「日中覚書貿易協定」に基づき、双方に覚書貿易事務所(日本側代表は岡崎嘉平太氏)が設立され、「覚書貿易」が開始されて戦後日中貿易は新たな発展期を迎えました。
日中両国はそれぞれ相手国に代表部として連絡事務所を設け、両国間で長期・総合・計画的に貿易を実施・拡大することを目指しましたが、更に外交関係の無い当時では、覚書貿易事務所が準政府機関として実質的には政府間交流をも行っておりました。加えて、覚書貿易の傘の下に、両国間で新聞記者の交換も行われ接触の度合いが深まりました。その結果、幾多の紆余曲折を経ながらも1972年9月29日の日中国交回復につながりました。
国交の正常化に伴い、覚書貿易事務所は準外交チャンネルとしての役割を終了し、その幕を閉じることとなりましたが、日中間の経済交流の促進は日本の将来にわたる発展にどうしても欠かせないものであります。このため覚書貿易事務所の交流促進の機能を引き継ぐ機関を設けようという要望が各界から湧き上がりました。これを受けて、経済団体連合会をはじめ、産業界・経済界が中心となって、日本政府の支援も得て、公益法人として日中経済協会が発足しました。